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「新世界より」(2)


 冒頭は「地球へ・・・」のようだと思ったが、それに続く子供たちのジャングルでの冒険は「ハンターXハンター」みたいだと思い、後半の人間対悪鬼の戦いは映画の「帝都大戦」を思わせる。

「マンガみたい」「映画みたい」と思うのはマイナスの評価ではない。
わたしは日本では娯楽として小説よりもマンガや映画のほうがレベルが高いのではないかと常々思っていた。
しかし最近貴志作品を読んで、小説もまだ捨てたもんじゃないと見直した。
筆力というか描写力が素晴らしく、視覚の世界だけでなく聴覚嗅覚までもありありと描きだす。


この作品では特に視覚イメージの鮮烈さが印象的だ。

早季がキャンプで瞬とボートに乗り、夜の川面を渡る美しいシーン。

このシーンが、早季の心の中に強く残ったことによって、後に封印された瞬の記憶が蘇るのだが、このように、一瞬の記憶が、別の時間枠では永遠に存在するという感覚はとても共感できる。

また、そもそもこの世界の「呪力」は、思念によっていろいろなことができるのだが、それには明瞭なイメージを思い浮かべられなくてはいけないのだ。
たとえば壊れたものを直すには、その完璧な像を思い浮かべる。
敵を攻撃するためには、実際に相手の姿が見えていなければならず、その手段も明確に映像にできなければいけないのだ。
単に呪文をとなえ頭の中で念じればかなう能力ではない、というところがおもしろい。


この小説では、こうした「神のような力をもった人間」が平和に暮らしていくにはどうしたらいいのか、という普遍的なテーマ、また「悪」はただ閉じ込め排除すべきてはない、生き物は全て、虫も人間もそれぞれが命をもって生きているのだ、というメッセージが強く伝わってくる。これは、貴志の他の作品全てに共通している。


ただ、たかが娯楽小説といえども、こうした重いテーマを扱っている以上どうしても気になる点がある。

ひとつは、「悪鬼」の萌芽を発見するために疑いのある子供たちにロールシャッハテストをするという記述。

現在の我々の世界を「古代文明」と呼ぶ1000年後の彼らが、今でも既に時代遅れと言われているロールシャッハテストを行うのはありえない。

呪力があるため高度な科学技術は必要とせず、かえって「スローライフ」になっているとはいえ、遺伝子操作をして「攻撃抑制」を脳内に植えつけることまで成功している彼らが古代文明の心理学を採用しているというのは笑える。

「悪鬼」の出現が統合失調症に関連のある疑いがある、という記述もある。
「天使の囀り」や「ISOLA」でもやたら「ユング心理学」ができてきてちょっと気になったのだが、こうしたSFで通俗的な心理学や精神医学の知識をとりいれるのは精神病に対する偏見も招きかねず、注意したほうがいいのではないかと思った。



(以下ラストのネタばれあり)

もうひとつ、ラストの勝利を導く早季の肝心の作戦なのだが、これに関して今ひとつすっきりしない。
早季は
「人間も、バケネズミも、生きており、心臓が鼓動し、熱い血が流れている。笑い、なき、怒り、考える・・・知性をもった存在だ。使い捨てにしていいゲームの駒ではないのだ。奇狼丸とずっと行動をともにしている間に、わたしは、そのことを深く感じるようになっていた。」(下巻p530)

といい、奇狼丸も「目的はわがコロニーの存続のみ」といい、自分の命を投げ出すことに全く躊躇しないのだが、ここまできて結局最後に「特攻隊」さながらの作戦しかないというのは納得いかないものがある。

早季は自分を助けるために命を落とした仲間の人間のためには号泣して嘆き悲しむのに、奇狼丸の犠牲に対しては全く悲しみの描写がないのも拍子抜けだ。
早季もやはり「人間」のことしか考えていないではないかと思えて、上記の早季の言葉が嘘くさく感じられてしまうのだ。

それもまた「完全な人間など存在しない」とする早季の人間観に照らし合わせればむしろ矛盾しないのかもしれないが・・・。


あとひとつ、業魔になり消されてしまう悲劇のヒーロー瞬は、貴志作品「青い炎」の主人公の少年を思い出させる。

彼は、その聡明さ、冷静さ、そして優しさを人並み以上持っているにも関わらず、というよりそれらの優れた資質ゆえに、罪を犯す自分を抑えることができない。

「新世界より」でも、
「人より素直で心の優しい子ほど、業魔になる確率が高い」という記述がある。
はっきりとは書いてないが、容貌も人より美しいことを想像させる。

このへんは、「悲劇の主人公」の設定としてはありふれているのかもしれないが、しかし、心の美しい優れた人間ほど罪を犯しやすい、そして自ら死を選ぶことによってその罪は許される、というのは、罪や死を美化しているようで、あやうい。


以上気になるところもあったのだが、長編小説として最後まで破綻せず、読者の想像力を刺激する世界を創出する手腕は素晴らしい。
今後も、もっと重厚なフィクションを書いてほしいものだ。


本当に印象的な、映像栄えしそうなシーンがたくさんあるので、そのうちまた映画化されるだろうな。
この作品のもつ美しさを損なわず映像化されるといいなと思う。


このメモでは触れなかったけど他にもいろいろおもしろい設定もたくさんあって、殺戮描写はかなりグロイところもあるけど、そういうの好きな人にはとにかくおもしろいので、興味ある人はぜひ読んでみて。

(終わり)

memo

インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20080212bk13.htm

講談社サイト
作家本人によるイラストが・・・(笑
http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/newworld/


貴志祐介 「新世界より」(1) 


 2008年1月講談社刊

上下巻あわせて1000ページ。
読み出したらとまらないおもしろさの娯楽大長編。
いろいろ気になるツボがあるので、まとめてみた。
特に前半はネタばれ全開なので、これから読む人はスルーしてください。
(もちろんSFホラーとかに全く興味ない方もスルー推奨 ^0^)


*ストーリー

舞台は約1000年後の日本の人口3000人の町。
子供たちは小学校を順不同に卒業して全人学級に進む。

クラスのほとんどがいなくなり、主人公の少女早季は不安にかられるが、ついに最後から2番目に「卒業試験」を受けることになる。

この辺まで読んで思い出したのは竹宮恵子のマンガ「地球(テラ)へ・・・」。
http://www.mbs.jp/terra-e/

そのマンガでは超能力者(ミュウ)は試験によって発見され排除されるが、この「新世界」は、「呪力」を持つ超能力者たちが一般の人間たちと壮絶な戦争をした後勝利して築いた世界なのだった。

呪力をもった彼らはお互いを殺傷するのを避けるため、「人間」を殺傷すると自分も同じようにダメージを受ける「愧死機構」を開発する。
子供たちの卒業試験とは、この愧死機構を確認するためのものである。

こういったことは倫理委員会と教育委員会の管理者のみが知っていて、現在に至る歴史は封印されている。

この事実を、ある夏キャンプに行った早季・瞬・真理亜・覚・学の5人の子供たちが知ってしまったことから、恐ろしい悲劇が始まる。

彼らの知った秘密の中には、能力を持った人間たちの中に非常に稀な確立で「悪鬼」「業魔」が出現し、そのたびにひとつの町が絶滅することもあったという歴史もあった。

規則を破って秘密を知り、さらに人間たちの使役動物である「バケネズミ」たちの戦いに巻き込まれ、命からがら帰ってきた早季たち5人は、表面何事もなかったかのように日常に戻るが、やがて少年瞬が行方不明になる。

最も能力が高く、将来のリーダーと目されていた瞬は、実は「業魔」:自分の呪力をコントロールできず周囲の人間たちを全滅させる危険のある突然変異種だったのだ。

瞬のことが好きだった早季は必死に彼を救おうとするが、瞬は自分の運命を受け入れて姿を消し、子供たちの記憶からも消される。

再び平穏な生活が戻るが、やがて彼らの中で最も能力の低かった学が命を狙われ、早季たちは周囲の大人たちに疑問を抱き始める。
この世界では、極端に能力の低い子供も、秘密裏に消されていたのだ。

真理亜と学は「二人だけで生きていく」といって町から脱走する。

6年が過ぎ、残された早季と覚は大人になってそれぞれ仕事についている。

そのころ町の周辺で、バケネズミのコロニー同士の戦いが問題になっていた。
バケネズミたちは人間の支配下にいることを条件として独自の文明を持つことを許されている。
コロニー同士争うときは、人間に「戦争許可」を申請することになっており、違法行為があったときは人間が介入する。

バケネズミは人間の子供くらいの大きさのネズミであるが、従来アリのように唯一の雌である女王を中心にコロニーを形成している。

「野狐丸」のコロニーでは革命が起こり、女王にロボトミー手術をして無力化した民主主義になっていたのだが、保守派の「奇狼丸」たちのコロニーに戦いを挑み、やがて人間たちを襲い始める。

「野狐丸」は「悪鬼」と化した一人の人間を味方にして、残虐な攻撃を続けるのだった。
早季と覚は保守派の奇狼丸と力をあわせ闘うが、「愧死機構」を持たない悪鬼に抵抗するすべもなく、町は壊滅状態に陥る。

しかしここに至るまでに、早季の心の中に瞬の記憶が徐々に蘇り、彼の声によって悪鬼の正体に気づく。

悪鬼は、6年前に町をでておそらく野狐丸に捕らえられた真理亜と覚の間の子供であり、実は悪鬼ではないのだが、バケネズミに育てられたために自分を彼らと同類だと思い込んでいて、人間に対して「攻撃抑制」が働かず、「愧死機構」も発動しないのだった。

そのことを確信した早季の戦略によって、ついに悪鬼は倒され、人間たちはかろうじて勝利したのだった。

(ストーリー終わり)

ターシャ・テューダー
 

公式サイトによれば、今月18日、自宅で家族や友人達に看取られて天国に旅立ったそうです。
http://www.tashatudorandfamily.com/news.html
http://www.tashatudor.legacy.com/LMW/HomePage.aspx

彼女の素晴らしい庭、昔のままの可愛らしい服装、などの写真が美しくて本やDVDも集めたけど、「ターシャ・テューダーの言葉」の本も大好きだった。

彼女のインタビューの答えで、特に印象に残っている言葉がある。

それは、「人とつきあうことで気をつけてきたことはありますか」
というような質問に対して、

「攻撃的な人には近づかないようにしてきました」
という答え。

これは、ちょっとしたことのようですが、とても大きな意味があるように思う。

大人になって自分で仕事をするようになれば、誰でもいろいろな人間とつきあわねばならない。
そして、お金とか権力とか、力をもっている人というのは、えてして「攻撃的」な人が多いのではないか。

生きていく上で、そういう人に味方になってもらうことは、メリットが大きいようだが、いったんそういう人と関わってしまうと、その関係からうけるダメージも大きい。
自分の思うように生きたいと思ってる人にとっては、それはほんとうに避けるべきことなのだ。

わたしもこれまでの人間関係をふりかえると思い当たることが多い。

それ以来、わたしはこのターシャの言葉を自分でも肝に銘じていこうと思った。


自分の人生は自分で切り開かなければならない。

一人で強く生きていくことは易しくないけど素晴らしい。



いろんなことを教えてくれて、ありがとう、ターシャ。
山田勇男漫画集 『戯れ』
   

下北沢ラ・カメラの「六月の瑠璃展」に行き、山田勇男さんの初作品集「戯れ」を買う。
http://www.seirinkogeisha.com/event/index.html#080616tn03

少女瑠璃とおじさんの夢の話のような短編集。
巻末の対談集もおもしろい。
ご本人にサインをお願いしたら、銀のペンでこんなかわいく・・・(写真右)

漫画もすごくよいのだけど、以前ビリケンギャラリーでみた8ミリ作品も、ノスタルジックな少女世界で好きだった。

「蒸発旅日記」のことお聞きすればよかったな。
DS 「魔人探偵 脳噛ネウロ」


 ・・・「ドS炸裂!ネウロサディスティックボイスCD」というのを目当てにDSのネウロのゲームを買いました、はい。

http://www.mmv.co.jp/special/game/ds/neuro/

子安ボイス集!と喜んでたんだけど、やっぱり「このウジムシめ!」とか言われてもウレシクない・・・M じゃないので・・。
でもゲームは簡単な推理ゲームで息抜きにちょうどいいか。

ど本気でやってる「零」はちょっとお休み中。
wii 版シレンもイージーモードでゆるゆるにお楽しみ中。
「神の左手悪魔の右手」
     

楳図かずおのあの傑作(といっても全部傑作だけど)が映画になってたとは知らなかった。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6540

シリーズの中の「黒い絵本」が原作だが、主人公はどちらかというとソウ少年より姉の泉になっている。

次々と恐ろしい殺人鬼の犠牲になるのは、みんなアイドル風美少女。
そして優しいおとうさんと暮らしている足の悪い女の子、ももちゃんが、もうすごくカワイイ。
どこかでみたなと思ったら、「誰もしらない」の末っ子のちびちゃんだった。

監督はガメラ三部作の金子修介で、この人が子供を撮るとあたたかみがあっていいなと思う。
しかし、特撮映画監督のわりに、この映画での特撮というか作り物がB級を通り越してC級なのはどうしちゃったの??という感じ。

それでもわたしは満足満足。

この夏にはいよいよ「おろち」実写版公開!

と思ったらなんと「赤んぼ少女」がその前に。

http://umezz.com/jp/index.html

・・・タマミは、あのころの多くの子供たちのトラウマになっているだろう。

2002年のデザインフェスタに、すんごい「タマミ人形」があったんだけど、映画ではあれを超えられるだろうか。
http://dhnoah.mda.or.jp/argus/defes16b.htm

あ〜でも楽しみだな!

「猫目小僧」もみなくっちゃ。
「醜い花」


 蒸し暑いのは困るけど、今くらいの、どんより曇っていて空気がひんやりしている感じは好きだ。

このとこ外に出るとなんとなくザワザワ感がくるんだけど、夜はデパス飲んでさっさと寝て、朝ちゃんと起きるといろいろできる。(まー体はあまり動かないけど。主に精神活動)

このくらいロウな感じのほうが、妄想もいろいろできてよいのである。
シガーロスとかWEGとか聞いて写真集などぼけーっと見る。

数年前に買った原田宗典の「醜い花」をふと手にとって読む。

世界にたったひとつの、救いようのないほど醜い花。
ひどい匂いもして、茨には猛毒があり、虫も動物も近寄らない。
誰もが、そして醜い花自身が一番、「早く枯れてしまえばいいのに」と願っている。

しかし枯れることもできない醜い花は、月に向かって問いかける。

「何故わたしはこんな姿で咲いているのです?」

「おまえが咲いているのには、それ相応の理由がある」

月の向こうから声が答える。

さてさて醜い花はそれからどうなったか・・・。

布張りに箔押しの表紙、ページは一枚一枚袋とじ、大事に大事に作ったという思いの伝わる素敵な絵本。

絵:奥山民枝 デザイン:原研哉

http://www.haramu.net/work/archives/2005/12/post_16.html


「どうせ死んでしまうのに」という言い方がある。

わたしは、すべてゼロになる時から遡って、今を生きているような感覚がある。うまく言えないけど。
何も残らないと思う。

でも、ゼロになるまでに、やりたいことがあるとすれば、まだ作りたいものがある。というよりも、それまでの時間に、自分で意味があると思えるのは作ることだけだろうな。

作ったものが誰にもみられなくても。

生まれてよかったなーと思う。

「ヒューマン・トラフィック」「闇の子供たち」 そして
  
 
宮崎勤45歳、死刑執行。

人が人を裁くのは難しいが、このような犯罪者に対しては、「死んでも地獄があるように」という思いを抑えられない。



以前「ヒューマン・トラフィック」という映画を無料チャンネルでみて、見ごたえあったのでDVD買ってじっくり観た。
http://movie.goo.ne.jp/dvd/detail/D112012590.html

世界のあちこちで、騙されたり誘拐されたりして組織に売春をさせられる少女たち。
前半は犯罪の手口などがリアルに描かれるが、後半は美人の女性捜査官とイケメンのマフィアボス(ロバート・カーライルなんだなこれが)との闘いがアクションドラマっぽい。

同時進行でアジアの売春組織のことも描かれ、ここで捕らえられているのはほんとに幼い少女たちなので痛々しい。


そしてついこないだ梁石日の「闇の子供たち」を読んだ。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7863

舞台はタイ、金のために次々に親に売られる子供たち。
あらゆる虐待を受けて性の玩具として客に売られ、病気になればゴミとして捨てられる。

神経の細い人は読み続けられないような描写が延々と続く。
人間とは、地球上で最低な生き物だと思ってしまう。

中盤から一応フィクションとして、日本人のボランティアの女性とジャーナリストが子供たちを助けようと闘う姿が描かれるが、彼女たちの相手はマフィアや買春客などの「悪人」ではなく、賄賂をもらってみすごす「警察」であり、国際的非難を恐れる「政府」であり、そして自分の子供のために臓器移植を希望する「先進国の金持ち」なのである。

人間の全てが、普通に働いて飢えることなく生きていく世の中になれば、こういう地獄はなくなるのだろうか。

しかし豊かなはずの日本でも、子供を虐待し殺める人間はいなくならないのだ・・・。


「闇の子供たち」は、宮崎あおい主演で映画になったそうだ。
観たいと思うが、でもあの本の内容を映像にすることはできないだろうな。

http://www.yami-kodomo.jp/


「アフタースクール」

 
「運命じゃない人」の内田監督の2作目、おもしろいだろうなーあっと驚くんだろうなーとワクワクして観て、期待以上の傑作!

http://www.after-school.jp/index.html

前作にでてた探偵役の佐々木蔵ノ介に加えて、「東京タワー」の大泉洋、NHK新撰組で山南役だった堺雅人の三人がぴったりのナイスキャラでからみあうのがもう最高。
わたしはとくに山南さん・・じゃなくて堺雅人のピュアな笑顔が好き。

ちょっとでもネタばれするとおもしろさが減っていくので、何の予備知識もなく観るのがオススメ。

前作では、同時進行の時間枠と視点のずれを何度も繰り返すのがちょっとくどかったけど、今回は最後の最後に爆笑種あかしがあるだけなので、より緊張感とテンポがあってよかった。
単なるエンターテイメントでなく、監督のメッセージがちゃんと伝わってくるのも、よい。

観終わった人だけ、↓のサイトでトリックを思い出して楽しもう。

http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/after-school/
左ききのゴーシュ


 青月泰山くんのライブ@新宿Nakid Loft。

対バンありで1時間足らずだったけど、やっぱりよかった〜!

こう、聴いていて、「ああこんな人形を作りたい」と脳裏に浮かんでくるのが、わたしにとっての素晴らしい音楽なんだけど、泰山くんの演奏はもうずっとさまざまなビジョンが浮かんできて、「早く新しい人形作りたい」と思わせるのだった。

http://www.seigetusha.com/

いつかコラボをしたいなーと思っていたんだけど、意外と早く実現するかも!?

泰山くんの2枚のアルバム、絶対オススメ。
http://cgi.geocities.jp/seigetusha/works/clever.cgi